*イーグルクロー作戦 / Operation eagle claw [#hac7d87e]
 1980年4月に決行された、アメリカ各軍合同によるイラン・テヘラン市内のアメリカ大使館人質救出作戦。米陸軍の対テロ特殊部隊[[デルタフォース]]の事実上の初陣だったが、作戦本体とは別の問題で失敗に終わってしまった。

 当時、イランではイスラム革命が勃発、アヤトラ・ホメイニ率いる革命評議会が実権を掌握し、それまでの親米派パーレビ朝時代から一気に反米路線へと転換した。前政権のモハンマド・パーレビ国王は直前の1979年1月に専用機のボーイング727を自ら操縦しエジプトへと亡命したが、その後ガンの治療を名目に渡米。これに反発した学生を主とする『革命軍』が11月4日、テヘラン市内のアメリカ大使館を襲撃し占拠、大使館員とその家族53名を人質に取った。

 これに対してアメリカは強硬策を選択。4軍を総動員した救出作戦、『オペレーション・イーグルクロー』を立案した。陸路からの侵入、落下傘降下などいくつかの方法が検討された結果、最終的に輸送ヘリでの潜入に決定した。

 作戦の骨子は以下のようなものだった。
 部隊と人質の輸送に使用する機材は、海兵隊の大型輸送ヘリRH-53D『シースタリオン』8機(うち2機は予備)、空軍の中型輸送機C-130『ハーキュリーズ』8機と大型輸送機C-141『スターリフター』2機。さらに臨時拠点『デザート・ワン/ツー』への飛行中の攻撃を想定してAC-130『ガンシップ』2機が同行した。
 まずデルタフォースが8機のRH-53に分乗してテヘラン郊外のサッカースタジアムに着陸・展開。先にビジネスマンとして潜入していた元アメリカ陸軍特殊部隊少佐のリチャード・メドウズとその部下が用意した車両で大使館に侵入してこれを制圧、人質とともにサッカースタジアムで待機するRH-53へ向かう。一方で、レンジャー部隊100人を乗せた3機のC-130がテヘランに近いマンザリヤ空軍基地へ強行着陸・制圧し、脱出用のC-141とスタジアムから飛来したRH-53を迎え入れる。ここで人質はC-141に乗り換えてイラン国外へ脱出、RH-53はその時点で放棄・爆破(つまりは『使い捨て』)するという、「ライスボール作戦」と呼ばれる大胆かつ大規模な作戦だった。

 隊員はブルー・レッド・ホワイトの3個部隊に分けられ、ブルーが次席大使館舎、大使公邸、大使館事務局建物内の人質救出部隊(40人)、レッドが大使館職員宿舎および食堂内の人質救出部隊(40人)、ホワイトが作戦開始後の敵増援の阻止、人質救出の為の輸送ヘリ発着用地の奪取と防備(13人)で構成された。

 しかし、この作戦には一つ問題があった。作戦の遂行にはヘリコプターが不可欠だが、当時、ペルシャ湾の空母から内陸奥深くのテヘランまで、無補給で往復できるヘリがなかったのである。そこで特に足の長いRH-53を使用するとともに、テヘランの手前の砂漠に、2ヵ所の臨時拠点『デザート・ワン/ツー』(以下ワン/ツー)を設置。ワンでC-130で運ばれた隊員とペルシャ語通訳と運転手、[[GSG9]]の支援隊員などの地上要員と合流し、ヘリの燃料補給と、デルタフォースのヘリ乗り込み、ツーで作戦決行までヘリを待機させ、大使館へ向かう車両への乗り換えが行われることになった。

 だが、このヘリの問題が、後に作戦の足を引っ張ることとなった。

 1980年4月24日、作戦決行。ワンの安全確保のためにホワイト・チームとしてデルタフォースとレンジャー1個分隊が3機のMC-130E『コンバット・タロン』に分乗しオマーンのマシーラ島を出発、イランのレーダー網をかいくぐりワンに着陸した。しかし機体が止まらぬうちに車両と共に展開しようとハッチを下ろしたところ、未確認の車両3台が走行しているのを発見、直ちに停車を試みた。先頭を走っていたバスは威嚇射撃で止まったが、タンクローリーとピックアップトラックが逃走しようとした為レンジャーが[[LAW>TDS M72]]を発射、タンクローリーが爆発炎上し運転手にトラックと共に逃げられてしまった。炎が周囲を数マイル先まで照らし出す中、現場とバスの乗客を確保した部隊はペルシャ湾に展開していた空母『ニミッツ』から飛来するヘリの到着を待った。(この時点で作戦の奇襲性は失われてしまった。)
 ところがここで折悪しく砂嵐が発生。レーダーに捕まらないよう低空(高度60m以下)を飛行していたRH-53はもろに巻き込まれる格好になり、2機が視界不良でワンに不時着(パイロットたちは他のヘリに救出された)、1機がエンジン故障で空母に引き返した。予定より遅れてようやくたどり着いたものの、さらに1機が油圧系統の故障で飛行不能となってしまった。
 この時点でRH-53は残り5機。作戦遂行には最低6機のヘリが必要とされていたため作戦続行は不可能と判断され、この時点で中止が決定された。
 部隊は給油中のC-130にそれぞれ乗り込んだ。しかし撤収準備中に1機のRH-53Dが、給油を終えて駐機位置を変えるために移動中、強風にあおられ近くに駐機していたC-130に衝突し、積み込まれていた弾薬と燃料が引火、大爆発を起こし両機とも炎上した。
 C-130の操縦席の5名とヘリに乗っていた海兵隊員3名が死亡、重傷4名、軽傷者多数を出した。一方、ヘリの機長と副操縦士は無傷で脱出した。
 まさに天にも見放された格好で、結局『イーグルクロー作戦』は、一発の銃弾も撃つことのないまま自滅・撤退という、散々な結果に終わった。

 実はこの時、ヘリの機種選定や準備不足で問題があったと言われている。
 当初、作戦には空軍仕様のHH-53『スーパー・ジョリーグリーンジャイアント(もしくはMH-53ペイヴ・ロウ)』が投入される予定だった。HH-53は全天候下での作戦遂行能力があり、この種の作戦には最適な機体だったが、ローターの折りたたみ機構など艦載用の装備を持たないためスペースが嵩む事や収容能力から、海軍が空母への積み込みを拒否したため、急遽RH-53Dを代役に立てたのである。
 RH-53Dは同じH-53系の機体で足も長いが、本来は海軍向けの機雷掃海用のヘリで、全く畑違いの機体だった。同機には砂漠地帯での飛行では不可欠な砂塵フィルターが装備されておらず予備も2機しか用意されていなかったとの話もあり、ある意味、最初から結果は見えていた(海軍が自らの手柄を欲しがったためにこのような事態が起こったとの指摘が多い)。

 またその他の問題として
・担当の海兵隊ヘリパイロットに実戦経験がなく、技術に劣ったこと。
・上記のヘリのパイロット選出での軍内の勢力争いや政治的圧力の介入などの組織的問題。
・行動部隊の大半は対テロ戦闘の経験がなく、この作戦の為に急遽編成されたものだったこと。
 などが指摘されている。

 また、この作戦の他に『Credible sport作戦』という物があった。
 これはロケットエンジンを搭載し短距離離着陸機(STOL機)として改修したC-130(YMC-130H)「ハーキュリーズ」3機にデルタフォースを搭乗、サッカースタジアムに着陸・展開させ、人質を救出すると言うものであった。
 しかし、機体の不具合により実行には至らず作戦自体が中止になっている。(改修された3機のうち1機は試験飛行中に墜落し、2機目は火災を起こし緊急着陸している)

 結局、アメリカ側はこの作戦で結果を出せなかったばかりか、意図を察したイラン側が人質を各地に分散して拘留するようになったため、再度の救出作戦まで不可能となった。そしてこの失態と、作戦失敗から5日後の4月30日に起きた駐英イラン大使館占拠事件(この時、イギリス陸軍の特殊部隊SASが6日間の攻防の末に突入し事件を解決する等完全にアメリカの面子を潰される形になった。)、同時期に起きた[[ソ連>USSR]]のアフガニスタン侵攻というダブルパンチにより当時のカーター政権は支持を失い、タカ派・強硬派の共和党ロナルド・レーガンに交代することとなる。
 その後、人質救出は外交交渉に委ねられることとなり、444日の長い抑留の末、パーレビ国王当人が死去し、対イランの資金凍結も解除した事から、1981年1月20日にようやく人質は解放された。奇しくも、この日はカーター大統領がホワイトハウスを去る日でもあった。 

 この作戦の後、様々な改革が行われた。
・指揮官であったチャールズ・ベックウィズ大佐は特殊部隊輸送を専門とする第160特殊航空連隊(SOAR)、通称『ナイトストーカーズ』を設立する事になった。
イーグルクロー作戦の失敗をふまえて、『ナイトストーカーズ』が保有するヘリの一部(HH-60Dナイトホーク/MH-60Gぺイヴホーク)には海軍艦艇への離着艦能力や、脱着式空中給油装置が追加されている。
 その能力を買われて、現在では陸軍のみならずアメリカ軍の特殊作戦の多く(湾岸戦争や映画ブラックホーク・ダウンで有名なソマリア内戦のモガディシュの戦闘、イラク戦争等)に参加しており、「アメリカでもっとも多忙な部隊」と称されている。
・また、海軍は元Navy SEALsのチーム2(東海岸)MOB-6小隊指揮官リチャード・マルシンコ中佐によりNavy SEALsから分割させたSEAL TEAM6(現DEVGRU)を設立している。
・特殊作戦顧問調査委員団が設立された。
・ベックウィズが永年推進していた統合特殊作戦軍(JSOC)が設立されることとなった。
・この作戦以前のデルタフォースでは、部隊の性質を考慮してベックウィズが書類の類を残さないように指導していた。しかしB中隊、言い換えれば全部隊の半数が全滅の危機に瀕したことを受けて、それまでに得られた知識などを体系的にまとめることを始めた。
・戦闘における負傷の要因の1つが火傷であり、今作戦においても負傷者のほとんどがそうであった。デルタフォースでは作戦時に着用できる耐火服を考案し、現在では世界の特殊部隊・治安組織の標準装備となっている。
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