イーグルクロー作戦 / Operation eagle claw

 1980年4月に決行された、アメリカ各軍合同によるイラン・テヘラン市内のアメリカ大使館人質救出作戦。米陸軍の対テロ特殊部隊デルタフォースの事実上の初陣だったが、作戦本体とは別の問題で失敗に終わってしまった。

 当時、イランではイスラム革命が勃発、アヤトラ・ホメイニ率いる革命評議会が実権を掌握し、それまでの親米派パーレビ朝時代から一気に反米路線へと転換した。前政権のモハンマド・パーレビ国王は直前の1979年1月に国外に脱出していたが、その後ガンの治療を名目に渡米。これに反発した学生を主とする『革命軍』が11月4日、テヘラン市内のアメリカ大使館を占拠、52人の大使館員とその家族を人質に取った。
 これに対してアメリカは強硬策を選択。4軍を総動員した救出作戦、『オペレーション・イーグルクロー』を立案した。

 作戦の骨子は以下のようなものだった。
 部隊と人質の輸送に使用する機材は、海兵隊のRH-53D『シースタリオン』8機、空軍の中型輸送機C-130『ハーキュリーズ』8機と大型輸送機C-141『スターリフター』2機。まずデルタフォースがRH-538機に分乗してテヘラン郊外に着陸・展開。大使館に侵入してこれを制圧、人質とともに近くのサッカー場で待機するRH-53へ向かう。一方で、別働隊100人を乗せた3機のC-130がテヘランに近いマンザリヤ空軍基地へ強行着陸、C-141とサッカー場から飛来したRH-53を迎え入れる。ここで人質はC-141に乗り換えてイラン国外へ脱出、RH-53はその時点で放棄・爆破(つまりは『使い捨て』)するという、「ライスボール作戦」と呼ばれる大胆かつ大規模な作戦だった。
 しかし、この作戦には一つ問題があった。作戦の遂行にはヘリコプターが不可欠だが、当時、ペルシャ湾の空母から内陸奥深くのテヘランまで、無補給で往復できるヘリがなかったのである。そこで特に足の長いRH-53を使用するとともに、テヘランの手前の砂漠に、2ヵ所の臨時拠点を設置。ここでヘリの燃料補給と、デルタフォースの乗り込みが行われることになった。
 だが、このヘリの問題が、後に作戦の足を引っ張ることとなった。

 1980年4月24日、作戦決行。デルタフォースは3機のC-130に分乗し臨時拠点に無事到着。ペルシャ湾の空母『ニミッツ』から飛来するヘリの到着を待った。
 ところがここで折悪しく砂嵐が発生。レーダーに捕まらないよう低空(高度60m以下)を飛行していたRH-53はもろに巻き込まれる格好になり、2機が視界を失って不時着、ようやく臨時拠点にたどり着いたもののさらに1機が油圧系統の故障で飛行不能となってしまった。
 残り5機分の部隊では作戦遂行は不可能と判断され、この時点で中止が決定。 その上撤収準備中に、1機のRH-53が駐機位置を変えるために移動中、強風にあおられC-130に衝突し、2機のC-130が炎上。死者8人、負傷者多数を出した。
 まさに天にも見放された格好で、結局『イーグルクロー作戦』は、一発の銃弾も撃つことのないまま自滅・撤退という、燦々たる有様に終わった。

 実はこの時、ヘリの機種選定で問題があったと言われている。
 当初、作戦には空軍仕様のHH-53『スーパー・ジョリー(もしくはMH-53ペイヴ・ロウ)』が投入される予定だった。HH-53は全天候下での作戦遂行能力があり、この種の作戦には最適な機体だったが、ローターの折りたたみ機構など艦載用の装備を持たないことや収容能力から、空母への積み込みに海軍が難色を示し、RH-53Dを代役に立てたのである。
 RH-53Dは同じH-53系の機体で足も長いが、本来は海軍向けの機雷掃海用のヘリで、全く畑違いの機体だった。同機には砂漠地帯での飛行では不可欠な砂塵フィルターが装備されていなかったとの話もあり、ある意味、最初から結果は見えていた。

 結局、アメリカ側はこの作戦で結果を出せなかったばかりか、意図を察したイラン側が人質を各地に分散して拘留するようになったため、再度の救出作戦まで不可能となった。そしてこの失態と、同時期に起きたソ連のアフガニスタン侵攻というダブルパンチにより当時のカーター政権は支持を失い、タカ派・強硬派の共和党ロナルド・レーガンに交代することとなる。
 その後、人質救出は外交交渉に委ねられることとなり、444日の長い抑留の末、1981年1月20日にようやく人質は解放された。奇しくも、この日はカーター大統領がホワイトハウスを去る日でもあった。

 この作戦の後、指揮官であったチャールズ ベックウィズ大佐は特殊部隊輸送を専門とする第160特殊航空連隊・通称『ナイトストーカーズ』を設立する事になった。イーグルクロー作戦の失敗をふまえて、『ナイトストーカーズ』が保有するヘリの一部(HH-60Dナイトホーク/MH-60Gぺイヴホーク)には海軍艦艇への離着艦能力や、脱着式空中給油装置が追加されている。
 その能力を買われて、現在では陸軍のみならずアメリカ軍の特殊作戦の多くに参加しており、「アメリカでもっとも多忙な部隊」と称されている。


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  • いろいろ足してみました。ヘリが使い捨てだったという話と炎上したC-130は2機という情報のソースが見つからなかったのですが、どなたか知ってますか? -- 2008-04-15 (火) 13:08:42
  • ソースはこちらです。 http://www2g.biglobe.ne.jp/~aviation/osprey.html ただ、ちょっと勘違いしていまして、炎上したのは「2機のC-130」ではなくて、「C-130とRH-53Dの2機」と言うことらしいです。本文も訂正しておきます。 -- MA-08S? 2008-04-16 (水) 18:16:44
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