*十三年式村田銃 / Type 13(Model 1880) Murata rifle 【小銃】
#ref(murat13.gif,center,nolink,十三年式村田銃)

|−|全長|重量|[[口径]]|装弾数|製造国|h
|−|全長|重量|口径|装弾数|製造国|h
|~十三年式村田銃|1294mm|4150g|11.15mmx60R|1|日本|
|~十六年式騎銃|1178mm|3600g|11.15mmx60R|1|日本|
|~十八年式村田銃|1275mm|4098g|11.15mmx60R|1|日本|

1880年(明治13年)に開発、スナイドル銃などの洋銃に変わって明治陸軍に採用された[[ボルトアクション]]単発[[小銃]]。
 1880年(明治13年)に開発、スナイドル銃などの洋銃に変わって明治陸軍に採用された[[ボルトアクション]]単発[[小銃]]。
東京砲兵工廠の村田経芳によって、フランスのグラースM1874ライフル((グラース(グラー)M1874は、ニードルファイアのシャスポーM1866を金属薬莢に改良したものである))やオランダのバーモンM1871ターンボルトライフル等を参考に制作された。
1885年(明治18年)には改良された十八年式村田銃が採用され、ともに日清戦争で活躍し、後の日露戦争でも後備歩兵の装備として使用された。
また、[[カービン>騎兵銃]]モデルの十六年式騎銃は、スペンサー銃の後継として騎兵や砲兵等に使用された。
 1885年(明治18年)には改良された十八年式村田銃が採用されて旧式化したものの、ともに日清戦争で活躍し、後の日露戦争でも後備歩兵の装備として使用された。
 また、[[カービン>騎兵銃]]モデルの十六年式騎銃は、スペンサー銃の後継として騎兵や砲兵等に使用された。
 
 こうした村田銃の一部は30[[番径>ゲージ]]や28番径の[[散弾銃]]に改造された上で、単発式の猟銃として民間の銃砲店に払い下げられた。初期は軍用としての役目を終えた銃の部品を利用したものだったが、後には18年式の生産ラインを使用し、新品の散弾銃として生産された。この村田猟銃は当時の12番径散弾銃に比べて安価な価格から広く普及し、昭和30年までの長きに渡って猟師達に愛用された。
そのため、村田銃でない同形式の猟銃も、総称して「村田銃」と呼ばれていたという。
 こうした村田銃の一部は30[[番径>ゲージ]]や28番径の[[散弾銃]]に改造された上で、単発式の猟銃として民間の銃砲店に払い下げられた。初期は軍用としての役目を終えた銃の部品を利用したものだったが、後には18年式の生産ラインを使用し、新品の散弾銃として生産された。
 村田猟銃は当時の12番径散弾銃に比べてリーズナブルな価格から広く普及し、昭和30年までの長きに渡って猟師達に愛用された。そのため、村田銃でない同形式の猟銃も、総称して「村田銃」と呼ばれていたという。

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|登場作品|ジャンル|使用者|備考|h
|邪眼は月輪に飛ぶ|漫画|杣口 鵜平|28番径猟銃|

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CENTER:このページの画像は[[ENDOの部屋・鉄砲アイコンのページ>http://www1.ocn.ne.jp/~avro504/gunicon.html]]から転載しています。
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