ルフトハンザ機ハイジャック事件

 1977年10月13日に発生したルフトハンザドイツ航空のボーイング737機のハイジャック事件。
 スペイン、パルマ デ マリョルカ空港から飛び立ったルフトハンザドイツ航空181便(乗客87名乗員4名)はフランクフルトへと向かっていたところを、テロリストグループ「バーダー マインホフ」(後のドイツ赤軍)とPFLP(パレスチナ解放戦線)のメンバー計4名がハイジャック。テロリストは逮捕された同志11名の釈放と身代金1000万ポンドをドイツ政府に要求、果たされなければ乗客ごと同機を爆破すると伝える。
 テロリストはローマでの燃料補給から当時PFLPに対して理解を示していた中東諸国へ向かうが、各国の空港では着陸を拒否され、バーレーン、アラブ首長国連邦のドバイ、南イエメンのアデンと各地の空港に着陸してはすぐに発進した。この間ドイツ大使からの交渉も失敗し、アデンでは脱出を図った同機の機長がテロリストに射殺された。
 そこでドイツ政府は特殊部隊であるGSG9の派遣を決定。10月17日、ソマリアのモガディシュ空港に着陸させたところを犯人に要求を飲むと偽り、テロリスト側の交渉の期限である18日午前2時45分までの突入準備を急いだ。そして18日午前2時、陽動として滑走路上で焚かれた巨大な火に犯人たちが気を取られた隙を突き、MP5サブマシンガン?で武装したGSG9は突入を敢行、犯人3名の射殺と1名を逮捕。残りの人質全員の救出を成功させた。なお、この突入時にはスタングレネードが実戦初使用され、その威力を発揮した。

 1972年10月29日に発生したルフトハンザ機ハイジャック事件を指すこともあるが、あちらは旧西ドイツ政府がテロリストの要求を鵜呑みにして大きな非難を浴びている。その意味においては1977年のルフトハンザ機ハイジャック事件はドイツ政府にとって国の威信をかけた報復戦だったとも言える。


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • ちょっと調べてみたんですが1977年10月13日発生、18日深夜に解決した事件がこのページのものみたいです。そして1972年10月29日に発生したルフトハンザ615便のハイジャックが非難を受けてるようです。(Wikipediaのミュンヘンオリンピックのページは間違ってるみたい・・・) -- 2008-05-25 (日) 18:58:14
  • ちなみにこの事件では初めて閃光手榴弾が使用され、以降ハイジャック犯制圧戦の定番に……別名モガディシュ事件とも呼ばれている。 -- 2012-08-19 (日) 11:58:06
  • 仕様されてないみたいね -- 2014-10-29 (水) 01:15:22
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